ラジオ英会話 Advent Calendar 2022参加作品。
何の因果か外資系企業に入った。別に外資系企業に入りたかったわけではない。やりたいことができる会社を探したら、外資系しかなかった。本社(HQ)はイギリスだった。その後何度か転職。本社はカナダ、アメリカ(東海岸)、フランス、アメリカ(西海岸)と30年以上ずっと外資系。こうして改めて書いてみると、ずいぶん転職したもの。
最初に入社した時、英語が苦手な自覚はあったが、自分は日本で、日本の顧客を相手に仕事をするのだから、親会社がどこにあろうと関係ないと思っていた。実際、下っ端の自分が本社や日本以外の地域の人たちと打ち合わせをする機会は皆無。ただし電話はよくかかってきた。
当時は、ようやくメールを使い始めた頃で、SkypeもZoomも、携帯電話もない時代。よく海外から会社に電話がかかってきた。用があるのは社長(日本の)だが、電話自体は我々が受けなければならない。いくらなんでも電話の取り次ぎぐらいできると思っていたが、簡単ではなかった。早口で聞き取れないのだ。
あとで先輩から「向こうの人の話す英語って、容赦がないよね」という話を聞いた。これが取引先なら、「英語でいいですか? 済みませんね、ゆっくりしゃべりますんで」という気持ちで話してくれるから聞きやすいが、同じ会社の人間だから、そういう配慮がなく、普通に話しかけてくる。中には、俺の名前は知っていて当然、という態度の人もいる。だからちょっと大変だ、と。「容赦がない」というのは言い得て妙な形容だと思った。
そのうちに、だんだん腹が立ってきた。ここは日本だ。自分たちが英語をしゃべるからといって、うちらに対してもそれを通すというのはいかがなものか。こっちから連絡する時は英語を使うから、そっちから電話してくる時は日本語を使いやがれ。
カナダの会社に変わった時もそう。あいつら、自分たちの母語が英語だからといって、こっちにまでそれで通そうとしている。なんて奴らだ。とまあ、自分の英語力を棚に上げて、もちろん声には出さないが、こうした不満を抱えていた。
東海岸の会社に移った時に、意識が変わった。これまでの会社は、日本の法人は日本のことだけを考えていればよかったが、今度の会社は日本がアジアを統括していた。傘下に韓国、中国、オーストラリアがあり、これらの国々とのやりとりが発生するのだ。
ある時、韓国から日本に出張してきた人がいた。別の人が対応していたが、途中、自分が呼ばれた。○○の製品に関して質問があるそうだから、対応お願い、という。○○製品については自分が専門家なので、確かに自分が対応するのが筋だが、もしかして英語でやりとりするの? と気が重くなった。
が、彼とやりとりしているうちに、わかってきた。自分は韓国語はわからない。相手は恐らく日本語がわからない。となると、英語でコミュニケーションするしかないではないか。そうか、かつての(本社の)イギリス人やカナダ人は、そして今のアメリカ人は、自分たちの母語が英語だから我々に対して英語を使うわけではない。英語が共通語だから英語を使うのか。
もうひとつ、気づいたことがある。その時私は、韓国人の彼が、何に困っていて、何を訊きたいのかすぐに理解することができた。それは、自分がその分野の専門家だから。説明する私の英語はたどたどしかったと思うが、彼は必死で聞いてくれた。それは、私が彼の知らないこと(そして知りたがっていたこと)を知っているから。
語学力に多少の難があっても、自分が詳しい分野は話ができる。自分の知識や知見に価値があれば、相手は聞いてくれる。それがようやく理解できた。
英語を学ぶ目的は、人それぞれだろうが、私は、アメリカ人の母語を学んでいるのではなく、世界共通語としての英語を学んでいるのだと思っている。小さいことだが、自分の中では大きなことだ。
Gerd AltmannによるPixabayからの画像