恐れず侮らず

英語の勉強を始めましょう

初めての海外旅行 (8)

前回から間隔が空いてしまった。1995年11月、今から約14年前の出来事だが、記憶を頼りにその後のことを簡単に綴ってみる。

TAKING A DINNER

夕食。できるだけ面倒なことはせず簡単に済ませたいとホテルのまわりをうろついていたところ、Denny'sがあった。ここならトラブルこともないだろう。注文はメニューの番号を指で示しながら「これ」で済ませ、これで一日が終わる……今日はもう部屋へ戻って寝よう……と思ってふと見ると、注文を受けたウエイトレスがまだそこに立っていて、何か話しかけてくるではないか。

え、オレ? オレ何かした? 注文はもう済ませたよね?? と焦って彼女の顔を見る。彼女も必死で食い下がってくるが、何を言っているのかわからない。なにかよほど重要な用事のようなのだが、ど、どうすればいいのだ。ため息をついた彼女が、身ぶりで料理する仕草をしながら、「Sunny-side up? or scrambled? or...」

そうか、卵はどのように調理するかを訊いているのだ。日本では、メニューに卵がついていたら、ゆで卵か目玉焼きか、シェフが決めた通りに出てくる。選択の余地は(通常は)ないものの、あれこれ指示する煩わしさはない。が、アメリカではそうではないのだ。

"Ah, ah,...Scrambled, please."

卵の焼き方なんかどうでもいいじゃないかよ! と八つ当たりしつつも、とにかくこれで夕食の問題はクリア、とほっとして座り直すと、まだ彼女はそこにいて、何か話しかけてくる。

今度はなに? と再びあわてたのだが、要はサラダにかけるドレッシングの種類を訊かれたのだった。それに何と答えたかはもう覚えていないが、はあーっ、やれやれ、と今度こそ力を抜いたところ、またしても彼女が話しかけてくる。

まだ調理法の指示が必要なのか? と思ったら、肉の焼き具合を尋ねているのだ。それで "Well-done, please." と回答し、ようやく注文終わり。夕食にありつくのも簡単じゃない。

MYSTERIOUS BREAKFAST

翌日の朝食は、ホテルに専用のラウンジがあるとのことで、そこで取ることにする。店に入るとすぐに席まで案内してくれ、飲み物を訊かれたのでコーヒーをお願いする。これは既に手に持っていて、その場で注いでくれた。いい香りのコーヒーを飲みつつ、メニューがくるのを待つ。

が、待てど暮らせどメニューを持ってこない。そもそも、あまりウエイター・ウエイトレスが室内をうろうろしていない。確か、30分くらい待ったと思う。単に待つのも退屈だし、お腹はすくし、これ以上時間がかかるようだとあとの予定に影響が出るし、……とイライラしつつ、ようやく近くを通りかかったスタッフに、「注文したいのだけど」と告げる。言われた方はキョトンとした顔で、「少々お待ちください」といって引っ込む。が少々どころかかなり待っても対応がない。

さらに……どのくらい待ったんだっけな? ようやく人が来て、「何かお困りでしょうか」というようなこと(恐らく)訊かれる。この状況をどう説明すればいいのかが一番困っているのだが、「自分はお腹がすいている。朝食を注文したい」というようなことを繰り返す。何か言っていたのだが、結局向こうも困った顔で、「お待ちください」といって奥へ行く。

いい加減にしてくれよ……他の人はどうやって注文しているんだ? と周囲を見回した時、初めて気づいた。ここはバイキングだったのだ! メニューもオーダーもへったくれもない。前に並んでいる料理を勝手に持ってきてどんどん食べれば良かったんだ! ああ、なんて間抜けなワタシ……

GONIG TO COMDEX

食事ひとつまともに取れず、不安を抱えつつCOMDEXの会場へ向かったが、ここではさほど困った問題は起きなかった。ひとつには、コンピュータのトレードショーがどういう仕組みで行なわれているかはよくわかっているし(少なくとも、ホテルの朝食の仕組みよりは)、展示品はモノがわかりやすいように並んでおり、各ブースとも一目見てわかるように工夫を凝らしているため、理解しやすかったからだ。

自分の仕事に関係がありそうかどうかの区別はだいたいつくし、説明がよくわからなくても、とりあえずカタログをもらってくるだけでも意味がある。*1それでも、たまに日本人の説明員がいたところは熱心に質問したりして……

FLIGHT AGAIN

Las Vegasでは3泊してCOMDEXへ通い、Caesar's Palaceも見て、次の目的地へ。*2国内線でLos Angelesの近くの小さな町にある取引先へ行くのだ。

今度の地は、喧噪の街・ラスベガスとは一転して、自然に囲まれた閑静な処。雰囲気はとてもいい。

BUYING SOME PERIPHERALS

この地にはかなり大きなコンピュータのショップがある。そこへ行き、日本では売っていないコンピュータの部品の買い付けを行なう。結構面白い部品がいろいろ発見され、ここではかなりの収穫があった。買い物自体、つまりレジを通ることも、慣れてきたせいもあるが特に問題なし。

VISITING CUSTOMER

さて、今回の渡米の最大の目的である、顧客訪問を成し遂げなければいけない。かなりのプレッシャーだったが、結果からすると、とりあえず大きな問題なく切り抜けることができた。

まず、自己紹介はあらかじめ練習していた通りを話す。おみやげに日本の風呂敷を渡し、包み方を伝授(実演)すると、大喜びされた。いやまあ、本当に喜んでくれたのかどうかはわからないが、少なくとも珍しいものではあったらしい。その場ではかなりうけた。そんなわけで最初はなごやかに時間が進んだ。

肝心の商談だが、われわれとしては、最近この会社のレスポンスが非常に悪いため、たいへん困っている。この当時はインターネットやメールはなく、だいたいFAXでやりとりをしていたが、こちらが夕方FAXしておくと、昔は翌朝には返事がきた。が、最近は2日後、3日後……になることが多い。それを改善してほしい。……という内容は、社長名で書いた英文のレターを持ってきており、まずはそれを読んでもらう。

それに対して先方は、なんだかいろいろと事情説明をしていたようだったのだが、何しろこちらは相手がなんて言っているのかさっぱりわからない。僕はナントカのひとつ覚えのように、"We'd like you to responce quickly!" "Quickly responce, please!!" と繰り返した。最後は向こうも笑いだし、"O.K.!" と返事があって終わった。

その後、新製品の説明を受け、セットアップの仕方を教わったが、こちらの方は自分でも驚いたことに、何を言っているのかだいたい理解できた。こちらも素人ではないから、モノを見ればどういうものかはだいたい見当がつく。この情報交換はなかなかに有意義であった。

一応、一日予定を空けていたとはいえ、先方に滞在したのは実質3時間弱だっただろうか。夕方、"Thank you very much!" とスタッフ全員と握手をし、オフィスをあとにした。

帰国後、その報告をすると、社長が、「なんだ、日本からわざわざ行ったのに、食事もごちそうしてくれなかったのか」と憤慨していた。契約開始に当たって社長が訪問した時は、食事も酒も出たそうだ。それは社長とヒラの差でしょう……と答えたが、いっしょに食事なんかした日には、こちらにとっては拷問なワケで、誘われなくて良かった、とあとから冷や汗をかいた。

ちなみに、待遇改善の件はちゃんと通じたのだろうか、もし改善がなされなかったら、わざわざ渡米させてもらった意味が全然ないことになる……と日本に戻ってからしばらくは気が気ではなかった。その後、先方にFAXしたところ、即座に返事があった。ああ良かった! と、その時は心底ほっとしたことを今でもよく覚えている。

RETURNING TO JAPAN

11月21日午前10時(現地時間)、ロサンゼルス空港発。11月22日14時40分、定刻通り成田着。こうして初めての海外出張の旅は終わった。

BONUS TRACK

旅行中、ほぼ毎日、ホテルや空港から自宅に電話したため、電話代は総額で10万円近かったと思う。もちろん会社に請求できるわけもなく、全部自腹。だって、この時は結婚したばかりだったんだもの。

翌年、妻も仕事で海外出張に行ったが、この時現地から自宅に電話は一回もなかった。

付記(2010/07/31)

オリジナルの記事はid:douyara-misoさん、id:cheapsandalsさんからはてなスターをいただいた。

*1:その後、インターネットが発達してくると、海外のショーでも主要各社の展示内容は即日アップされるようになり、単なる情報収集なら海外へ行く必要はなくなった。が、1995年の時点では、カタログを集めるだけでも十分意味はあった。

*2:これを書いて思い出したが、Caesar's Palaceを見た時の感想もメモに書いた記憶がよみがえってきた。帰りの飛行機の中でずっと書いていたんだから、一日分だけってことはない。3日分くらいは書いたのだ。発掘されないだけで、メモがどこかにあるはず。もう今さらどうでもいいけど。