恐れず侮らず

英語の勉強を始めましょう

初めての海外旅行 (9)−最終回:もっとも大切なこと

この時の出張は、初の海外ということでいろいろ思うことはあったのだが、特に言語によるコミュニケーションということを強く意識させられた一週間だった。

背景知識(レアリア)の重要性

単語や文法、構文といった純・語学的なこと以上に、背景知識の重要性を痛感した。背景知識というのは、広くはアメリカの文化や風俗・習慣、狭くは今話題になっていることそのものの知識というところか。千野栄一の「外国語上達法」で「レアリア」と呼んでいたのは、このことだろう。

たとえば「初めての海外旅行 (8)」で書いた「TAKING A DINNER」に関していえば、アメリカでは食事を注文する際、肉の焼き方やドレッシングの種類を指定できる、こちらから言わなければ訊かれる、ということを知っていれば、なんらあわてずに済んだのだ。「MYSTERIOUS BREAKFAST」の問題はもっと単純で、ホテルの朝食はほとんどがバイキングだということを知ってさえいれば、何一つ迷うことはなかった。

逆に、COMDEXや訪問先のお客様との面談で醜態を晒さずに済んだのは、製品に関する専門的な知識をもともと持っていたからに他ならない。

日本語でも、全然関係ない文脈や、予期しない時に突然違う話題を出されると、相手がなんと言ったか全くわからないことがある。ただ、そのことを普段は意識しない。「××××」「え? なに? 何の話?」「だから、〜の話だってば」「ああ、アレね」くらいのやりとりで補充し、そのまま何事もなかったように話題が続いていく。

英語でも同じで、突然聞かれればネイティブだってわからない。逆に、こういうことを訊かれそうだと初めからわかっていれば、ある程度は対処できる。コミュニケーションとはそういうことなのだということを、しみじみ感じたのだ。

近年は、年に1〜2度海外へ行く。そのほとんどは観光だからもともと気楽な旅だが、今では戸惑うことはほとんどないし、ミスコミュニケーションによるトラブルの経験もない。それは、英語が上達したからではなく、単に経験を積んで、入出国の際にどういう手続きがあってどんな書類が必要か、ホテルのサービスはどんなものか、といったことがわかったからに過ぎない。

それでも、ここで書いたような不安を感じることなくリラックスして旅行が楽しめているのだ。だから、背景知識(この場合は経験と言い換えてもいいが)は重要だ。……と、初の海外旅行から戻ってきた時、強くそう感じた。

しかし、日本に戻ってきた時にはすっかり忘れていて、その後もずっと忘れたままだったことがある。今回ブログにアップするに当たって思い返していて、初めて思い出した。

もっとも大切なこと

考えてみれば、この時はもともと英語が苦手であるのに加え、それこそホテルの朝食がバイキングであることもわからないほど経験値も低かった。実際、数限りないトラブルを引き起こした。とはいえ、それらのトラブルを最終的には解決してきたともいえる。だって、らちがあかなくて大使館に連れて行かれ、日本に強制送還された、というわけじゃないんだから。そして、仕事も最低限はこなしてきたんだから。

どうしてそんなことができたのだろうか。

この出張が確定したのは、出発のおよそ一ヵ月半ほど前のことだった。決まるやいなや、即座に「イングリッシュ・アドベンチャー」を申し込んだ。今でもあちこちで広告している、オーソン・ウエルズ氏による朗読「ドリッピー」である。毎月カセットテープが一本送られてくる仕掛けで、出発までには全体(一年分)の1/12しか手に入らなかったが、毎日、暇さえあればそれを聞くようにしていた。

また、中学生の時に聞いていたNHKラジオの「英語会話」のテキスト(捨てずに取ってあった!)を引っ張り出し、そのうちの「Mr. and Mrs. Fujiyama's First Trip Abroad」の項をすべて抜き書きして持ち歩き、これも暇を見つけて目を通すようにしていた。旅行用の英会話の本などは書店にいくらでもあるが、全く新しいものを勉強するより、20年近く前とはいえ一度学習したテキストを思い出す方が早いだろうと考えたのだ。

さらに、妻にも協力を依頼し、家にいる時に「今からすべての会話は英語でする!」などと決めて練習に付き合ってもらったりした。もっとも、これはたちまち言葉に詰まって、言いたいことが言えず、会話が成立しないため、あっという間に終了となるのだったが。

こうしたことが、実際にはどの程度効果を発揮したのかはわからない。直接、学習の成果を実感する機会はなかった。そもそも、語学は一夜漬けでなんとかなる類のものではないだろう――範囲が決まっている学校のテストは別にして。それでも、直前の一ヵ月にこうした勉強をしなかったら、もっとひどいことになっていただろう、とは容易に想像がつく。

謙虚に、短時間であってもできる限りの勉強をして臨む。この姿勢が、いつだって、一番大切なのだ。

大学を卒業してからまともに英語に接しておらず、勉強する機会も、その必要もなかった。一時期は、少なくとも受験勉強という枠組みの中では、多少の語学力はあったが、10年ちょっとでそれもすっかり錆ついていただろう。その錆を落とし、昔の記憶をよみがえらせるという意味では、それ相応の効果はあったはず。

ところが、この出張の時に「なんとかなって」しまって、妙な自信を得た僕は、その後、英語の勉強を継続することはなかった。先に書いたように、ホテルでのチェックイン・チェックアウトも、食事も買い物も、経験値が増したことで何とかなるようになったため、必要性を感じなくなってしまったのだ。

もちろん、イングリッシュ・アドベンチャーの残りの11本のテープは、一度も聞くことなくお蔵入りしたのは、言うまでもない。

僕が再び英語の勉強をする気になるには、それから14年かかったのである。