名著への招待 第20回(10月号)
支配のために読み書き能力を抑圧するという考え方は、いろいろなところで出てくるし歴史的事実でもあろうが、どうも理解できない。
たとえばわが家に奴隷、あるいは召使、あるいはお手伝いさんが来てくれたとして、その人が字が読めないとなったら、仕事の指示ができない。メモを渡すこともできないし、説明書を読んでもらうこともできない。そうなればやってもらえる仕事は限られる。買い物もまともにできないだろうし、留守番も頼めない。要は「役に立たない」のである。
人間ひとりが生きていくためには、食べるもの着るものから始まり、結構なコストがかかる。それだけのコストを支払って、誰でもできる簡単なことしかやらせられないのであれば、あまりにももったいない。ある程度の時間をかけて勉強してもらえば、はるかに多くの貢献をしてもらえる。そう考えるのが普通ではないのか。
なまじ頭がよくなると自分たちの言うことを聞かなくなることを恐れるというが、ということは、つまり、支配する側は自分が正しいことをしているとは思っていないのか。支配する側が、本当はこれではダメだとおもっているようなやり方では、それはうまくいくはずがない。