ことばのプレゼント (5)
- 英語を日本語に対応させる「訳読」は英語の思考やニュアンスからどんどん離れていく、というお話。
- 都甲幸治氏は、中学2年生にして授業に見切りをつけ、自分で洋書を読み始め、英語を訳すことなく英語として物語を楽しむようになったという。すごい。
- 思い起こすと、自分の中学時代は、英語と日本語は考え方の根本が違うから、全く逐語的に置き換えることは不可能、ということと、意味を理解したり、理解してることを示すために、訳す、というのはひとつの(重要な)方法、という、相反するようなふたつの考え方を、ごく自然に同居させていたと思う。だから授業に失望もしなかったし、日本語と英語のニュアンスの違いを見つけては楽しんだりもしていた(はずだ)。
- ビートルズやサイモン&ガーファンクルも好きで、歌詞を丸暗記して歌ったりもしていた。それが英語学習にどれだけ意味があったかはわからないが、英語を勉強するモチベーションではあったと思う。英語を学習が進むに従って、歌詞の意味が理解できるようになっていったから。