恐れず侮らず

英語の勉強を始めましょう

英語学習の心得

twitterである方が、「英語の勉強を若い時にもっとやっておけば良かったと思っても後の祭り…」のような意味のことをつぶやいておられたので、次のようなコメントをつけた。

人のせいにしてはいけません(若い時の自分=今の自分には他人)。それに「あとの祭り」なんかじゃないですよ。今からでも十分間に合います。英語の必要性を痛感した時に勉強するのが、一番短期間で身に付きます。……と、まあ、自分に言い聞かせているんですけどね(笑)。

僕も大学は一応出ているのだが、ある時英語が必要になって、自分にその能力が著しく欠けていることを認識し、愕然とした。それ以来、ちょっと英語を勉強してはやめ、日本語ができればいいんだと開き直ったり、いややっぱり英語は必要だと勉強を再開したり……の繰り返しであるが、今は「なんとか少しでも上達するように」と暇を見ては取り組んでいるところ。

このように取り組んだ結果、なんとか英語ができるようになった……ということであれば、大威張りで「私の勉強法」を披露したいところだが、全くお恥ずかしいレベル。ただ、最近少しわかってきたことがあるので、それを述べてみることにする。こうしたことは概してデキル人の話よりデキナイ人の話の方が、役に立つかも知れないし。

過去に成果のあった勉強法を繰り返す

中学生の時は英語の知識はゼロだったが、6年後には大学入試をクリアできるレベルにまで到達したのであり、その時の勉強法は身についている。受験勉強は読み書きができても会話ができないなどの批判も多く、そのため何年か前は英会話学校に通ったりもしてみたけれど、こんなことを続けて成果があるのかずっと不安だったし、実際1ヶ月通った程度で劇的な成果があがるはずもない。

仮に会話に難があっても仕事は主にメールで情報交換をするのであり、資料が読めれば仕事をする上で支障はない。自分の中で成功体験のあるやり方を繰り返した方が、不安も消えるし、実際に成果も出るのではないか。自分は結局、問題集に取り組み、わからない単語・熟語は辞書を引き、例文ごと覚える、という方法に戻った。

自分の能力を過信しない

大学受験期が恐らく自分の英語力のピークで、結構長くて難解な文章もそれなりに読んでいたのだが、その後長い間英語に接することなく生活を送り、当時の力がすっかり衰えてしまって現在に至る、ということは認めつつも、少なくとも中学で習った程度のことは身についていると思っていた。そうでないことを認めたくなかった。

が、梶間先生*1の「TOEICの点数が600点に達しない人は、中学文法に穴がある場合が多い」という指摘を真摯に受け止め、高校受験の問題集に取り組んでみたら、これが出来ない出来ない(笑)。とはいえ、復習すればそれなりに理解できるし、復習した分は力になっている気がしている。

もし高得点が取れたり、短時間で(あまり悩まずに)できるのであれば、それはそれでモチベーションにつながるので悪くない。英語が苦手な人は、過信せず、易し過ぎるぐらいのレベルから取り組むのが重要な気がする。

若い時に勉強しておけば……という考えを捨てる

誰でも(何度も)考えることですね(笑)。自分もそう考えることはあるが、それは結局、今の自分がつらい思いをするのがいやで、誰かよその人(昔の自分は今の自分からみれば他人だから)に責任を押しつけているだけなのだ。

若い時は若い時でそれなりにやることがあって、忙しい日々を送っていたはずなので、具体的に「あの時、あの時間に勉強していれば」というのはない。あるとすれば別のことをやめなければいけない。それはそれで困るのだ。今だって、英語の勉強に費やす時間を捻出するのにかなり苦労しているし、時間の確保のためある部分をかなり犠牲にしているのも事実である。

それだけの苦労をしても、英語を勉強する必要性を感じているからこそ、そういう努力をしようと思うわけで、何のために勉強をするんだかよくわかっていない若い時に時間だけ費やしても、恐らくほとんど無駄に終わるだろう。

英語に限らないが、その必要を感じた時に勉強をするのが一番短時間で効率的に身につくのではないか。そう信じて頑張ることにする。

過去記事

*1:電気通信大学 梶本裕之氏。「過去記事」のリンク先に氏の文献がある